
From アマデオ( Mail ) To at 2004 12/03 08:46 編集
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いやどうもこんばんは。
古楽器の演奏について、ということなら、僕が出なければなりますまい。
まず、古楽器の演奏では、レガートで、ということはまずありません。基本は、音符の一つ一つを区切って弾くことです。それはまるで、はっきり言葉を句切って話すような感覚です。楽器もそのような弾き方に適した作りになっています。古楽器は、我々が語るとき文の中である単語にアクセントを付けるように、強拍と弱拍で強さも長さも変えて、語るように演奏されます。ジュンさんの言う全音符は、豊かなビブラートを付けて、音符の長さいっぱいに延ばして弾くということだと思いますが、古楽では、長い音符の処理は、概ねメッサ・ディ・ヴォーチェ(音の真ん中をふくらませる奏法)を用います。このあたりについては、ジュミニアーニの本、クヴァンツの本、レオポルト・モーツアルトの本にも書いてあります。
もう一つは様式感の問題ですね。バロック音楽は舞曲が基本ですので、どの曲をするにも適正なテンポというものが舞曲をもとに導き出されます。その結果、今まで慣れ親しんでいたテンポよりも速くなる、ということがよく起こります。フランス風序曲がその最たるものでしょうね。あとは、メヌエットも、速いものと遅いものがあることが分かっています。僕は、古楽奏者が採用する、しゃきしゃきしたテンポの方を好みますが、ジュンさんの言いたいことも分かります。
まとめて言うと、古楽的な「グラーヴェ」という感覚は、分厚い音でレガートに、テンポを落として、というものとは違うということです。古楽器はモダン楽器よりも音色のコントロールが容易なので、音色を硬くするとか、メッサ・ディ・ヴォーチェを用いず、音の始めから終わりまで同じ音量で弾き、切れ目をはっきりさせるとか、ノンビブラートで弾くとか、そのような方法で、毅然とした音作りをしていくのだと思います。同じ楽譜が、全く違う印象の曲になるので、そのあたりが「合わない」原因だとは思いますが、古楽的な視点で言えば、上記のようになります。そして、ジュンさんが重々しい演奏を好むように、僕は毅然とした演奏を、フランス風序曲の場合は好みます。
楽譜の件ですが、特に古い音楽については、楽譜に全てが書かれているわけではないということに注意するべきでしょう。スラーなどのアーティキュレーションについて、強弱について、演奏習慣について、当時の楽譜にはほとんど記されていません。楽譜に書いていないが、当時行われ、また当たり前だった演奏習慣が多く存在するということは、バロック、古典派の音楽をする際に注意しておかなければならないことだと思います。
「山羊の鳴き声」の件ですが、何度も書いているように、古楽器の豊かな倍音を伴った音色は、「慣れれば」大変美しいものです。エキサイティングですらあります。僕なんか、弾いていて自分の音で興奮します。モダンでは体験したことのない音色です。この音色に惹かれて古楽に持ち替える人がいるのも分かる気がします。是非一度ご自身で体験をしてみて下さい。まったく別の楽器だということが分かると思います。ただ、音色というものは、それこそその人の主観に訴えるものですので、僕も主観を述べるのにとどめさせていただきます。
モダンか古楽かの議論の原因は、演奏される楽曲が同じなのに、使用する楽器が実はまったく別の楽器だ、ということが意識されないからだと思います。まったく別の楽器ですから、奏法も、考え方も、表現技法も当然ちがいます。モダンヴァイオリンとバロックヴァイオリンは、形は似ているけれど、まったく別の楽器です。他の古楽器についても同様のことが言えると思います。同じ楽曲でも、演奏する楽器が異なれば、表現される側面が変わるのは当然です。繰り返しになりますが、どちらもすばらしい。だから、モダンも古楽も、両方のヴァイオリンを演奏する身として、どちらも否定しないし、価値を認めます。メッサ・ディ・ヴォーッチェを用いて、速いテンポで語るようにバッハのアリアを弾くのもいいし、モダンヴァイオリンでビブラートをかけまくってゆっくり弾くのもまたいいです。ただ、古楽の欠点は、聞き手になぜそう弾くのか理解を求める頻度が多いことでしょうか。僕も、慣れるのに時間がかかりましたけどね。今ではどっぷり浸かっていますが。
ところで、僕が新掲示板でちょうど100件目の書き込みですね。やった〜〜〜〜〜〜!!
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